1983年Tom WheelerによるJohnnyとMuddy Watersのインタビュー

1983年Tom WheelerによるJohnnyとMuddy Watersのインタビュー
Guitar Player 1983年11月号より引用

Johnny(以下J):まず最初に断っておくけど、マディーにギターの弾き方を教えたのは僕なんだ(笑)

Muddy(以下M):おい、笑うなよ、その通りなんだから。いまだに君に教わってるよ。私がノートひとつ弾く間に、君は8つも弾くじゃないか!

Q:ふたりのそもそもの出会いは?

J:初めて会ったのはテキサスのオースティン。バルカン・ガス・カンパニーっていうクラブに一緒に出たんだ。そこも今じゃアルマジロと名前を変えたけど。マディー・ウォーターズと同じステージに立てるなんて、どんなに興奮したか口では言えないよ。なにしろ、11か12のときから、彼は僕のアイドルだったんだ。で、僕はカメラとテープ・レコーダーをもってったくらいさ。マディーに会えるだけでも光栄なのに、まさかセッションしようとは言えなかった。

M:それを申し出たのは私のほうさ(笑)。「今ステージでプレイしてるあの男――あいつをもっと近くで見なくちゃ」ってね。ショーでは共演しなかったんだが、そのあとで少しジャムったり話したりしたんだ。ジョニーは古いナショナルのギターを持ってた。私も以前、同じようなのを弾いたことがあったんで、共通項はすぐに見つかったよ。

J:一緒に仕事したのは’74年か’75年にシカゴで”サウンド・ステージ”というTVショーに出たときが最初だった。マディーに敬意を表して作られた番組で、彼に影響を受けた連中が大勢出演したんだ。ジュニア・ウェルズ(ハーモニカ)、ドクター・ジョン(キーボード/ボーカル)、バディ・マイルズ(ドラムス/ボーカル)、それに僕やマイク・ブルームフィールド、ココ・テイラー(ボーカル)なんかがね。マディーとなら絶対にいい仕事ができるなって思ったのはそのときさ。そのうち、彼のレコードをプロデュースするチャンスに恵まれたときは、マディーが使いたがってるミュージシャンを使って、マディーが作りたがってるとおりのレコードを作ることしか頭になかった。マディーを怒らせれば、事態は全く変わっちまう。とにかく彼はボスだ。プロデューサーである僕の仕事は、いかに彼らしいサウンドを作るかってこと。こんな仕事相手は、ほかにはちょっといないよ。ふたりの意見がくい違うってことがない。

M:私たちの作った最初のアルバムは、「ハード・アゲイン」というんだ。私はチェス・レーベルを離れることになっていて、マネージャーがCBSへ行ったんだが、「ジョニー・ウィンターのブルー・スカイ・レーベルへ行くといい」と言われてね。

J:CBSの傘下にエピックがあった。エピックはマディーを欲しがっていたんだけど、彼をプロデュースする方法を知らなかった。それで、ブルー・スカイをディストリビュートしてるエピックが、僕にやる気があるかと聞いてきたんだ。僕は言ったね「あたりまえじゃないか!やるしかないよ!」そうやって簡単に話が決まった。

M:練習もなしだったな。いきなりスタジオに入って、流してみて、即レコーディング。アルバム1枚に2日しかかからなかった。やろうと思えばもっと早くできたけど、ジョニーが疲れはてて「あとは明日にしよう」って(笑)。

J:彼のおかげでへとへとになっちゃったよ。スタジオが1階、コントロールルームが2階にあったもんだから、僕は「なんてこった、マディー、あんたは俺を殺す気か」って思いながら、そこを行ったりきたり走りまわってたのさ。4時間やったら休憩して、それからまた少しやろう、くらいのつもりでいたのに、マディーときたら「いや、休憩はとりたくない」って言うんだから(笑)。1曲ずつやっていくうちに、だんだんよくなってくるんだ。みんなで一度ラン・スルーすると、僕は上へあがってそのファースト・テイクを聴いてみるんだけど、それ以上録る必要がないほどなんだよね。こんなことってめったにないよ。なにもかもが一度きりで決まっちゃうんだぜ。

Q:シカゴへ行くまでは、もっぱらアコースティック・ギターを弾いていたのですか?

M:そうだよ。ステラから始めて、北へ行ったときはシルバー・トーンを持ってた。最初のエレクトリックを手に入れたのは1944年。それ以来夢中になっちまったんだ。たんにラウドだというだけじゃなく、サウンドがまったく違ってた。弾きこなせるようになれば、きっとエレクトリックが好きになると思ったよ。このラウドなサウンドをもってすれば、自分のやってることをちゃんと人に聴いてもらえるとね。アコースティックだと、いくらミスしたって誰も気づかないけれど、その点エレクトリックはきつかったな。

J:なぜエレクトリックに転向しようと思ったの?

M:私がギターを弾いていたようなシカゴあたりの居酒屋では、みんなが大声でしゃべってたんだ。一杯ひっかけて、いい気分になってさ。ギターの音が、その声に消されちまうもんだからね。

J:昔も今も変わんないな(笑)。だんだんでかいアンプを使わなきゃならなくなってきてるよ。シカゴでは、ギターにアンプを使う前からハープをアンプに通してた?

M:私がプレイしていたところでは、ほぼ同時だった。ライス・ミラーは、リトル・ウォルターより先に、ハーモニカに小さいマイクをとりつけてたよ。

J:前から思ってたんだけど、サムピックを使うようになったのはどうして?

M:シカゴへ移って、人にプレイを聴かせなくちゃならないという問題をかかえこんだときさ。あんまり強く弦をはじいてると手を痛めてしまうんで、サムピックを使いはじめた。それでもまだ音が小さくてね。だからエレクトリックを弾くことにしたんだよ。初めはメタル製のサムピックを使っていたが、サウンドがひどく薄っぺらい感じなので、プラスチックのに換えた。普通のフラットピックはとても使えないね。

Q:ギターをエレクトリックに換えたと同時にスタイルも変えましたか?

M:いや、変えない。でも、今までのスタイルをエレクトリック・ギターに合わせることを覚えなくちゃならなかったね。私のスタイルは、今でもほとんど変わっていない。ただ、今はバンドと一緒にプレイしていて、みんなにプレイの機会を与えているというだけのことだよ。私は彼らにこう言ってるんだ。「君たちを引っこめておくつもりはない。どんどん前に出て、みんなに君たちを好きになってもらいなさい。私は君たちが大好きだが、みんなが君たちのことを好きになるよう仕向けることはできない。それは君たちが自分でやることだ」

J:マディーがほかの多くのリーダーたちと違うのは、そういうとこなんだ。自分のミュージシャンに誇りを持ってるし、たとえ自分の道をはずれても彼らの手助けをしてやる。それが、彼が父と呼ばれるゆえんだし、僕が熱くなって彼のことをしゃべるのもそのせいさ。オーティス・スパン(ピアノ)、ジェームス・コットンやリトル・ウォルター(ともにハーモニカ)、ルーサー・ジョンソン(ギター)をはじめ、マディーはいろんな連中にチャンスを与えてきた。

M:ミシシッピーにいたころは、たいてい私ひとり、せいぜい二人でプレイしていたよ。

J:彼のスタイルは、シカゴへ出たときにもうできあがっていた。でも、誰かにフレットの使い方を少しばかり教わったりはしたんじゃない?

M:うん、ブルー・スミッティ(クロード・スミス)にね。当時の私はスライドばかり弾いていたんだ。ブルー・スミッティやジミー・ロジャーズ(ギター)と一緒に仕事をするようになってから、ノーツの弾き方を少し教わった。それでも、私のスタイルは変わらなかったよ。フィンガー・ワークを加えたことで進歩はしたけれどね。スミッティはスライドはうまくなかったが、別のことを教えてくれた。私は自分なりにそれを消化したんだ。いまだに彼には感謝している。まったくすばらしい進歩をとげさせてくれたんだから。スライドだけじゃ、できることは限られているよ。

J:歳のいった人たちのほとんどは、スライドだけで、ほかの指は使っていなかったね。

Q:メタル・スライドを使いはじめる前に、本物のボトルネックを試したことは?

M:ああ、ボトルの切り方を覚えたよ。まず指に合いそうなボトルを探してきてね。最初は間違えて、スライドを中指にはめてたんだ。ちゃんと小指にはめるようになったのは、もっとあとのことだから、また適当なボトルを見つけなくちゃならなかったよ。それから、ネックにひもを巻きつけて、それを灯油に浸して、火をつけて燃えつきるに任せておく。そうすれば、軽く叩くだけでできあがりというわけ。

J:僕もそれをやってみたけど、そのたびに必ず収拾が付かなくなっちゃう(笑)すごくコツがいるんだ。

M:短いスライドでないとね。私はジョニーのように、同時に何本もの弦を弾くことがないから。たいていは1本の弦しか弾いていない。

J:レコードでマディーのこのプレイを聴いたときは、本当にびっくりした。スライドと普通のフレッティングをいっぺんにやるなんて、いったいどうしてるのかわからなかったよ。普通のギターと、膝に置いたスティール・ギターを、かわりばんこにあちこち弾いてるのかと思った。レコードを聴くだけでもずいぶん勉強になったけど、実際に彼を見ていて、もっとずっといろんなことがわかったんだ。目の前でこういうことを見られるってのは、すごかったね。

Q:そこからどんなことを学んだか話してください。

J:いやだね。ほかの奴には教えたくない(笑)なんてウソだよ。いろいろあるにはあるけど、それを言葉にするのはむずかしいな。要はフィーリングなんだ。それに、いくら学ぼうとしたって学べないこともある。

M:そのときにやっていることとは関係なく、まったく独自のものが生まれることがある。歌と同じだよ。表情や表情の変え方によって、声の調子が変わるだろう。私のトーンはそういうところから来ているんだ。たとえば、ジョニーはこんなふう(音を上げていきながら唄う)。でも私の場合は、だんだん下げていく。それは私の声がそういうふうにできているからだし、ジョニーにしてみればそんなに低く下がっていく声じゃないからだ。

J:あらゆるブルース・シンガーのうち、たったひとつのノートでマディーほどのことができる人はいないよ。ノートのひとつひとつがブルースなんだ。唄にしても、ギターにしてもさ。マディーを聴くたびに、いつも初めて聴いたときみたいに感動する。

Q:意識的にギターでボーカル・スタイルのラインを弾くのでしょうか?

M:そう。ギターは声のようにはいかないが、私はギターにできるだけ多くを語らせたい。私はそんなに大したギター・プレイヤーじゃないけれど、いつも自分の声のようなギター・サウンドを出そうと心がけてきた。そりゃあ、ジョニーみたいなプレイはできないよ。でも、私はギターに感情を吹き込む。これができないプレイヤーはたくさんいるだろう。

J:最近の典型的なギタリストは、やたらとノーツを弾く。

M:ほかの人には言えないことを、私の弾くたったひとつのノートが言うんだ。ほかの人が12個のノーツを弾いても、私のようなトーンは出せない。

J:マディーは、自分で歌ったラインに、自分のギターで答えるのさ。2番目の声ってところだね。

M:これはデルタ・スタイルから来ているんだ。私とギターが会話する。

Q:これまでに、ブルースがさまざまに変化していくのを見てきたと思いますが、ブルースはこの先どうなるでしょうか?

M:今までずいぶん浮き沈みがあった。何年もの間に、ブルースに関するすべてが進歩してきたし、今も変わりつづけている。それでも、私みたいに古株のスタンダード・ブルース・シンガーは、サウンドが変わりこそすれ、ベーシックなマディー・ウォーターズ・スタイルは変わっていないよ。あまり変わったら、それはもうブルースではなくなってしまう。ブルースをロックン・ロールやディスコにすることはできるけれど、あんまりかけ離れたことはしたくないんだ。

J:ブルースが人の心を打つのは、単なる音楽である以上に、ブルースはコミュニケーションであり、感情表現だからだと思う。みんなですわりこんで、憂鬱な気分に浸るってのがブルースだと思っている奴もいるけど、そんなんじゃないんだよ。あらゆる人に共通の問題というのがあるだろ。そこで、同じ問題を抱えてる他人が、それをどう思っているか、どう対処しているかを聞けば、少しは気持ちが軽くなる。ちょっとでも聴いてみれば、ブルースは誰にだってわかるよ。自分のかっこよさを自慢するためのブルースだろうと、ほんとの落ちこみブルースだろうと、それはどうでもいい。大切なのは、ノーツの多さより、みんなに話しかけることだ。ジョン・リー・フッカーには、チェット・アトキンスみたいなプレイはできない。だけど、ステージに立てば、ちゃんとみんなに話しかけてるじゃないか。

Q:現在のブルースは、どんな状況にありますか?

M:状況はいいよ。

J:ちゃんと生き残ってる。ブルースは死にかけてると言う人もいるけど、ブルースは絶対死にやしないさ。

M:多少変わることはあっても、決してなくならないだろうな。いいときもあったんだ。あれが早すぎたのかもしれない。

J:’60年代のヒッピー・ムーブメントのころは、ローリング・ストーンズをはじめとする若手の白人ミュージシャンが、年上のブルース・ミュージシャンに負うところがものすごく大きいことに気づいて、みんなにブルースを聴かせてた。エリック・クラプトンやミック・ジャガーといった子供たちのアイドルが、ブルースのすばらしさをみんなに教えていたんだ。その点、今はもっと現実的だね。人がマディー・ウォーターズのレコードを買うのは、彼の価値をちゃんと知っているからであって、ミック・ジャガーが彼の曲をレコーディングしたからじゃない。それはそれでいいと思うようになってきたけど、’60年代にはそういうことがブルースを支えてきたのは確かだよ。はやりの音楽の源にブルースがあるってことを、知ってもらえさえすればいいのさ。マディーはブルースの父だ。いくら報いられても足りないくらいのことを、彼はしてきたんだ。最近、彼がやっと正当に認められるようになって、ほんとによかったと思う。

M:君のおかげだよ。

J:とんでもない。僕はなにもしてないよ。(ジョニーはギターを取りに部屋を出ていく)

M:(小声で)あれは私の息子でね。

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