1998年 Kent Benjaminによるインタビュー

1998年 Kent Benjaminによるインタビュー(3月9日電話で実施)
Goldmine 1998年4月号より引用

Q:私はあなたの故郷ミシシッピ州リランドから14マイル東、デルタのインディアノーラで育ちました。あなたが本当はどこで生まれたのかファンの間ではちょっとした問題になってるようです。

Johnny(以下J):俺はボーモントで生まれ、親父が陸軍を退役してから数年は一家でリランドに住んでいた。でもそれからボーモントに戻ったんで、俺がボーモント育ちだというのはホントだ。

Q:あなたと弟のエドガーは、ウィンター・ブラザーズとして演奏していて、1959年にニューヨークでテッド・マックの「オリジナル・アマチュア・アワー」に出演したというのは本当ですか?ショウの思い出は?

J:ああ、オーディションは受けたけど実際にはショウに出られなかった。場違いだったんだ、俺たちはまだ小さなガキだったんで。それまでそんなことやったことがなかった。夜遅くまで起きているのも慣れてなかった。とても異様だったな。

Q:ご家族も一緒にニューヨークまで?

J:うん、車で送ってもらったよ。ボーモントのコンテストで優勝して行けることになったんだ。俺たちはボーモントからニューヨークまでずっと車で送ってもらった。

Q:古いインタヴューであなたが最初にマディ・ウォーターズに会ったのはここオースチン(訳註:インタヴュアーはオースチンから電話している)だったと読みました。間違えありませんか?自分のアイドルの一人に会って、一緒に演奏することができてどんなだったか話してください。

J:うん、オースチンのダウンタウンにあったヴァルカン・ガス・カンパニーでのことだ。マディの前座をやったんだ。彼は夜の2回公演で週末ずっと演奏した。彼が演奏してないときは俺たちがやった。信じられないことだった。テープレコーダーを用意したよ。カメラを持っていたんで写真をたくさん撮ったさ。俺たちゃすべてを記録にとどめたんだ。俺はマディに畏敬の念を持っていたのさ!

Q:それはクールですね。その時彼と共演したのですか、あるいはもっとあとで?

J:いや、共演したのはあとになってからだ。それも信じられないことだったけど。やはり彼に畏敬の念を持っていたからね。彼と同じショウで演奏することができたなんで信じることがきない。信じられるかい? 俺を感動させて音楽に導いたその人がいて、俺たちと同じギグで演奏していたなんて。俺は彼に感動してブルースやらなにやら演奏するようになり、その本人が俺たちとギグで演奏していた。そいつは驚きだったさ。

Q:そのときあなたは何歳でしたか?まだ10代でした?

J:いや、俺は27から28歳ぐらいだった、ヴァルカンの時は。

Q:どうしてテキサス州ボーモントでブルースが発見され演奏されるようになったのでしょう?

J:ラジオだよ、ラジオ。ブルースが聴ける局はナッシュビル、シュリーヴポート、そしてデル・リオ、さらにメキシコにあったんだ。クラブに出入りできるようになる年齢になる以前に、俺はラジオで聴けるだけのブルースを聴いてたんだ。

Q:あなたが聴いた中で強い印象を受けた最初のブルースの曲はなんでしたか?

J:ハウリン・ウルフの「Somebody In My Home」だった。忘れられないね。ウルフのサウンドは誰にも似てないだろう。すごいワイルドだと思って、「コレは何?」って感じだった。ぶっ飛んだぜ。

Q:あなたの初期の録音はあのヒューストンの変人ロイ・エイムズとやったものですね?

J:うん、でも実のところ最初に俺を録音したのはビル・ホールという男だ。チャック・ベリーとジミー・クラントンが出ていた"ゴー・ジョニー・ゴー"という映画(ハル・ローチ・スタジオ、1959年)を覚えているかい?ロックン・ロールの人が沢山(他にエディ・コクラン、リッチー・ヴァレンス、そしてジャッキー・ウィルソン)出ていた。映画と一緒にコンテストが、ジョニー・メロディ・コンテストというのがあったんだ。俺はそれに優勝して、ボーモントで俺が唯一知っていたレコード会社のビル・ホールのオーディションを受けることができたんだ。彼は町で唯一のレコーディング・スタジオを持っていた。彼が「レコードにしてみないか?」って言って、俺が書いた二曲があったんでスタジオへ行って録音したんだ。285枚売ったと思うよ。

Q:ダート・レコードのシングル「School Day Blues」のことですか?

J:そうだ、ダート・レコードだ。

Q:私は多くの人たちのようにローリング・ストーンズのレコードでブルースを知ったのではありません。あなたは私が大学にいた頃に聴いた、ストレートなブルースを演奏した最初の人たちの一人です。

J:ほんとかい? そいつはスゴイや。

Q:あなたはストレートなブルースを演奏した最初の一人で,最初にそれを白人聴衆に広めたと言われてきました。そしてもちろんそのことによって、白人聴衆が60年代にオリジナルのブルース・アーチストを発見し、彼らは初めてブルースで金を稼ぐことができるようになりました。そんな風に多大な影響を与えたことについてはどう思われますか?

J:うん、その通りだと思うよ。

Q:あなたをしてブルースをより多くの聴衆に広めようとさせるものはブルースの何なのですか?

J:ブルースは現実の音楽で、現実の人々や現実の問題を扱っている。学校に通うとかいった類のことを扱っていたんじゃない。とても現実的で、とても生々しい。ブルースは作り物ではまったくなかったし、ブルースマンは自分の好きなように演奏したので、それで何か大きなことをやり遂げたという風には聴こえなかったんだ。

Q:50年代にボーモントでブルースを聴いていたあなたは、まったくのノケ者だったんではないですか?

J:そう、誰もブルースに関心を示さなかったんだ。クラブではできるだけブルースを演奏したんだけど、ストーンズが成功するまではブルースはあまり演奏することができなかったんだ。

Q:バーの客が知っている曲のカヴァーを演奏しなければならなかったんでしょう?

J:うん、俺たちはそういうのも沢山やったけど、いつでもどこでもブルースをこっそり持ち込んださ。

Q:ところで、あなたの弟のエドガーはあなたほどはブルースにのめり込んでいないと理解しているのですが。

J:まあ、そうだね。でも弟も俺と同じぐらいブルースは聴いてた。俺たちは仲が良かったし、一緒に育ったし、俺が聴いたものを弟も聴いたのさ。

Q:昔のインタヴューの印象だとあなたは弟をちょっとブルースに引き込もうとしていた。

J:うん、そうだったよ。でも弟はレイ・チャールズとか、ボビー・ブランドとか、ビッグ・バンドのブルースが好きだったのさ。

Q:あなたが聴いたものの中でギターを弾きたいと思わせた最初のものはなんでしたか?

J:ウォウ!俺は子供の頃はクラリネットを吹いてたんだが、歯科矯正医師がクラリネットを吹いてるとオーバーバイト(訳註:過蓋咬合,下の前歯が上の前歯の奥でかみ合う状態)になっちまうと言ったんだ。それは俺が9歳か10歳のガキの頃だった。そこで俺はクラリネットはやめてウクレレを弾き始めたんだ。家に1本あったんだな。だから手が大きくなってギターを弾けるようになるまではウクレレを弾いていたのさ。ギターを弾き始めたのは12歳ごろのことだったと思う。ラジオで聴いた曲の不完全なヴァージョンをね。

Q:あなたと同世代の多くのミュージシャンたちのように、バディ・ホリーから始めたのですか?

J:バディ・ホリーやその手の人たちから始めた。初めてブルースを聴く前のことだ。

Q:エルヴィスの大ファンでした?

J:うん、初期のエルヴィスのね。サン・レコードの作品は今でも好きさ。

Q:バーで演奏していた最初の頃、あなたは十分ブルースを演奏することができましたか?それともレコードで成功するまではそれはなかったですか?

J:当時はなかったな。黒人クラブで演奏した。黒人クラブではB.B.キングのような人たちと一緒にブルースを演奏できたんだ。でもたいていはカヴァー曲やロックン・ロールを演奏した。

Q:黒人クラブでは聴衆に受け入れられましたか?

J:うん、もちろん受け入れてくれたよ。しっかりとね。実にクールだ。

Q:私の友人にジム・ディキンスンというのがいまして、子供の頃に黒人音楽を聴きにメンフィスあたりのクラブに裏口から忍び込んだ話をしていました。皆なぜ黒人音楽に興味を持たないのか理解できなかったと言ってました。

J:そう、そう、友人二人を除くとそういったクラブには他の白人はいなかったね。

Q:少なくとも友人がいたんですね。あっそうか、ボーモントでは一人でなんてありえないとか!

J:うん,まさかって。俺は車の運転ができなかったので誰かに連れて行ってもらう必要があったからさ。

Q:話をちょっと先に進めますが、ローリング・ストーン誌で大きく取り上げられ、「ジャニス・ジョプリン以来のもっともホットなアイテムか?」と書かれた時はどんな気がしましたか?

J:びっくりさ!想像もできなかったし、期待もしてなかったし、そんな記事が出るなんて前もって知らなかったし。突如として、その雑誌に書かれていたんだ。

Q:そのことはコロムビアとの契約に直結しましたよね。ディランとかその他もろもろがいたレーベルに所属することは刺激になりましたか?

J:うん、そのことが直結したんだ。コロンビアに所属することはとても刺激的だったな。

Q:最初の2枚のレコードはいまでも好きですか?

J:うん、俺は(強く力をこめて)好きだよ。

Q:年月が流れる間に沢山のレーベルを渡り歩きましたね。あなたのキャリアの異なるすべての時期を網羅した包括的なボックス・セットの可能性はありますか?

J:レコード・レーベルが相互に協力し合うことはほとんどないよ。CBSがブルースとロックン・ロールの音源をいくつか集めてなかなかのCD2枚組コンピレーションを出したけど。

Q:読者はあなたのウッドストックの思い出を知りたがっていると思います。私は幸運にも公開されなかったフェスティヴァルの場面を数時間見ていますが、演奏をしたたいていのバンドはちゃんと演奏するにはLSDのやり過ぎだったように思えました。でも、あなたが演奏する「Mean Town Blues」のクリップはウッドストックの中で最もホットなものでした。

J:ほんとかい?そう言ってもらうと嬉しいね。

Q:あなたは映画とオリジナル・アルバムから外されましたね。あなたのマネージャだったスティーヴ・ポールのやったことだとききました。なぜあなたは映画から外されたのですか?

J:スティーヴ・ポールだよ。あまりいい商売だと思わなかったんだろうね。やりたがらなかったんだ。俺はキャリアに傷がついたと考えている。彼はそれが大きな意味を持つとは考えず、俺たちは外されたのさ。

Q:で、ウッドストックの思い出は?

J:あんまりないんだ、ホントだよ!いつもあの頃は大きなギグで演奏していたんだ。あの年はやたら沢山のポップ・フェスティヴァルが開催された。もっぱら覚えているのは雨と泥さ!

Q:実のところ多くのアーティストたちはウッドストックでギャラを得ていません。あなたはどうでした?

J:うん、もらったよ!払ってもらったさ。

Q:それは良かったですね!どうしてマッコイズと手を組むことになったのですか?彼らはもともと10代の女の子向けポップ・バンドでしたが、キャリアの最後のほうでは特にへヴィにブルースに入れ込んでいたと思います。いまだにジョニー・ウィンター・アンドというバンドを好意的に覚えている人が多いですね。

J:俺のマネージャは俺と道を隔てて反対側に住んでいたんだ。当時俺たちはニューヨーク州の北部に住んでいて、彼はマッコイズにちょっと手助けしようとしていたんだ。当時、マッコイズにはもうマネージャもレコード会社もなかった。奴らは練習ばっかしていて、俺たちも練習ばっかしていた。で、ブルースはひところ人気があったんだけどもう誰も関心を持たなくなっていて、ついに市場では自然消滅っていう感じになったんで自分の新しいバンドを組む時が来た。そこで彼ら(マネージメントとレコード会社)は、もっとコマーシャルなことをやらなければ、これ以上キャリアを継続さえることはできないと俺を説得したんだ。そこで俺たちはトミー(・シャノン)とレッドとのバンドの解散を決意し、マッコイズが取って代わったってわけさ。奴らは良かったし、いい人間だった。ブルースも演奏できる。そこで俺たちは一緒になると決めたって感じかな。

Q:大学にいた頃、"ジョニー・ウィンター・アンド"と"ジョニー・ウィンター・アンド・ライヴ"の2枚のアルバムはサークルのほとんど誰もが聴いていて、コピーしてましたよ。

J:振り返ってみても、その2枚はおそらくほとんど関心がない2枚だなあ。

Q:(笑)あなたはそう言うだろうといわれてました。

J:ほんとに?

Q:なぜこの2枚のアルバムがあまり好きでないんですか?

J:いや、好きだよ。俺は今でもロックン・ロールは好きだが、ブルースがないのは寂しいな。

Q:お時間の方があまりないので、今現在に話を進めましょう。私はあなたの新作「Live In NYC ’97」が大好きです。ほんとにいいアルバムです。あなたは何年もライヴ演奏していませんでしたね。1997年4月のボトム・ラインでのこのショウは特にライヴ・アルバムの録音のために行われたのですか?

J:ああ、そうだよ。このアルバムのために欲しいと思う俺が好きな曲を取り上げたんで、必ずしも他の人が聴きたいと思う曲ではなかったんだ。あまり録音されていない、あまりレコードになっていない曲を取り上げることに努めたよ。自分ではほとんど書かないから、手垢がついていないマテリアルを探すのはたいへんだった。

Q:どういういきさつでボブ・ディランのアニヴァーサリー・トリビュートに参加することになったのですか?私の知る限りのほとんど誰もが、あなたのパフォーマンスがあの晩のベリー・ベストの一つだと考えています。すべてのスーパー・スターたちの中でも、あなたはあの晩ほんとに多くの人々を驚嘆させ、皆ぶっ飛びましたよ!

J:頼まれたんだよ。理由は知らない。確かなのは楽しかったってことさ。

Q:ディランに会ったことはありますか、あるいはあの晩彼に会えましたか?

J:いや、まったくない。あそこは人が多すぎて。彼には会ったことない。

Q:ヴィデオやレコードで出ているショウには満足していますか?

J:うん、してるよ。ほんとに楽しかった。

Q:ローリング・ストーンズのトリビュート・アルバムについてはどうですか?あなたも参加を依頼されていますか、あるいはレコード会社からあなたのトラックがライセンスされるのですか?

J:それは何?それについては何も知らないな。(私が何か説明した後で)ライセンスを取ったに違いない。でも入れてもらうのは嬉しいよ。

Q:ローリング・ストーンズと共演したことはありますか?彼らは明らかにあなたを買っているバンドのようですが。

J:いや、ないな。

Q:2週間前にヒューストンでストーンズを見たばかりですが、良かったですよ。私が見た彼らのツアーの中でもベストの一つです。聴いたことがある若手ブルース・プレーヤーであなたがそうだったように、これからの世代にとっての聖火ランナーになると思う者はいますか?

J:ああ、聴いた中でもいい若手が何人かいる。名前が思い出せないのもいるがね。ブッチ・トラックス関係の若い子でとてもいいヤツがいる。フロリダ出身で、マジでいいぜ。

Q:またエドガーと一緒に仕事とをする考えはありますか?

J:ああ、いい話があればきっとやるよ。一緒だと別々のときほど稼げないからね。

Q:ご両親はあなたのキャリアのために支援してくれましたか?あなたのお父さんはミシシッピ州出身の陸軍軍人だったので、ブラック・ミュージックを演奏することは全くとんでもないことだったに違いありません。

J:ああ,とても支援してくれたよ。両親はいつも兄弟二人とも支援してくれていた。唯一そうでなかったのは俺がまだとても若く15歳ぐらいの頃で、俺はクラブで演奏したかったんだけど両親はそこに出入りして欲しくなかったんだ。最終的にはやらせてくれた。それ以後は両親は後戻りすることなく、俺は自分の好きにやったさ。

Q:あなたが遂にレコードを出したときに、お父さんはなんと言われましたか?

J:応援してくれたよ。両親は信じられなかっただろうね。

Q:幸運な人ですね!実はあなたはアルバムを出すたびに新しい刺青を彫るんだと聞いています。おかしな話ですが、ほんとなんですか?

J:いや、違うよ。長いこと彫ってないよ。

Q:(笑)もう彫る場所がないとか?

J:ああ、まだ十分にあると思うよ。

Q:最初に刺青を入れたのは何歳の時でしたか?

J:40歳になるちょうど前だ。何か新しいことで自己破壊的ではないものを探していて、刺青ってことになったんだ。オースチンのキース・ファーガスン(ファビュラス・サンダーバーズ、リロイ・ブラザーズ、テイルゲーターズ、ビッグ・ギターズ・フロム・テキサス等のベース・プレーヤー)、キースは知っているかい?(「はい」)キースが教えてくれたんだ。奴は1年程前に亡くなったんだけど。ともかく、奴は蜘蛛の巣の刺青を入れてて、俺は奴が彫るとこを見てた。それで自分もやってみようって決めたんだ。

Q:(笑)ジョニー、あなたは初めて刺青を彫るのに40歳まで待ってた数少ない一人なのでは?

J:(笑)そう、そう思うね。長い間待っていたさ。

Q:あなたのファンの一人が、かつてあなたが所有していてリック・デリンジャーが「All American Boy」のジャケットで抱えているストラトを持っています。彼はあなたがそもそもどこで手に入れたのか知りたがっていますが?

J:分からないな。ストラトのサウンドが好きなので弾こうとして来たんだけどできないんだ。

Q:今はどんなギターを弾いているんですか?

J:オースチンのマーク・アールウィンという男がデザインしたレイザーだ。メインでそれを弾いていて、スライドにはギブソン・ファイアーバードだ。

Q:誰の影響でスライドを弾き始めたのですか?

J:うん、ロバート・ジョンソンとサン・ハウスがおもに影響を受けた人たちで、彼らによってスライドを始めたんだ。

Q:独学ですか?スライドには何を使っていんですか?

J:ああ、独学だよ。まあ、あらゆる物を使ったよ。試験管、試験管の断片、パイプの断片、でもデンヴァーで演奏するまでどれもうまくいかなかった。デンヴァーのモーリス・タイディングという男が導管の断片を教えてくれて、配管工事業者から12フィートの断片を手に入れたんだ。それで俺はそのとき使っていた同じパイプの断片をいまでも使っているわけさ。新しいのが必要になったらそいつの別な断片を探さにゃならない。

Q:ほんとですか?それはすごい。

J:ああ、パイプの断片なんだ。

Q:信じられない!同じ断片とは!ところで、あなたはレギュラーのピックで弾いているのですか?

J:いや、サム・ピックで弾いている

Q:マディ・ウォーターズがあなたにサム・ピックを教えたのですか?(またまたギター・プレーについての無知をさらしますが)

J:ちがう、おもにマール・トラヴィスだ。ボーモントに俺に少しレッスンしてくれて、フィンガー・ピックを教えてくれた人がいたんだ(読者には申し訳ないが、テープから名前を判別できなかった)。チェット・アトキンスでも知ってたけど。チェット・アトキンス/マール・トラヴィス作品のサウンドはサム・ピックなしでは得られないよ。

Q:マール・トラヴィスは驚異のプレーヤーですね。彼のことは「テキサス・リッターズ・ランチ・パーティ」という古い番組で知りました。

J:ああ、彼はすばらしいよ。

Q:新しいプレーヤーで好きな人は?

J:俺はいまでも古い作品が好きだな。マディ、ウルフ、リトル・ウォルター、ボビー・ブランド、レイ・チャールズ、といった人たちだ。

Q:あなたのキャリアの中で最も思い出に残るものは何ですか?マディとの仕事が頂点にあると想像しますが。

J:ああ、マディと仕事できたのは間違えなくベストの時の一つだな。そして最初のCBSのレコードの製作もビッグな時だった。最初にダート・レーベルでレコードを製作しときは自分の声がラジオから聞こえて吹っ飛んだな。間違えなくそれが俺を変えたんだ。

Q:自分のレコードでお気に入りを3枚挙げなければならないとすれば、なんでしょうか?

J:最初のレコード「Johnny Winter」はお気に入りの1枚だな。「Still Alive And Well」はお気に入りのロックン・ロール・レコードだ。そしてポイント・ブランクの「Let Me In」もお気に入りの1枚さ。

Q:その点で、マディ・ウォーターズとの仕事についてはどう思ってますか?

J:好きだよ。マディが好きだったし、彼と一緒にした仕事は俺のキャリアのハイライトの一つさ。

Q:1977年にマディとグラミー賞作品「Hard Again」を作成しましたが、収録曲の多くがファースト・テイクで録音されたというのは本当なんですか?

J:その多くがね。2、3テイク以上はまずやらなかったな。

Q:さっさと仕事するのが好きですか?

J:ああそうだよ。

Q:ノリがいいテイクがとれたとすれば、すべての音が完璧に演奏されているテイクがあったとしても、それに満足しますか?

J:ノリがいいのなら、それが一番大事だ。

Q:すべての時代を通じて他人のレコードでお気に入りを挙げなければならないとすれば、何になりますか?

J:ウォウ。マディ・ウォーターズの最初のレコード「The Best Of Muddy Waters」、「The Best Of Little Walter」ボビー・ブランドの「Two Steps From The Blues」というレコードがあって、お気に入りの一つだな。

Q:数週間後にここオースチンのサウス・バイ・サウスウェスト(SXSW)・カンファレンスで演奏するのを楽しみにしていますか?

J:ああ、楽しみにしてるよ。(この点に関して、私は彼が演奏する会場、入場料、ブルースとバーベキューで有名な老舗が新装され大きな屋外ステージがあること、を説明した)。

Q:今年初めて長期にわたる広範囲なツアーを行うにあたって健康状態はいかがですか?

J:ああ、いいよ、今ほんとに調子がいいんだ。

Q:ファンからの最後の質問なんですが、ライヴ・セットにアコースティック・ナンバーを、おそらくあなたのナショナル・スチールで、加えることを考えたことはありますか?

J:ああ、あるよ。何年もの間ずいぶん考えたんだ。ステージでアコースティック・ナンバーを演奏するのは自分にはハードだな。どういうわけか俺にはシックリこないね。自分が望むように自分のギターの音が聴こえないだ。でもそのことについてはずいぶん考えたし、いつもその話はしているし、たぶんいつかやることになるだろうね。

Q:(ハウリン・ウルフのヴィンテージ・クリップを何本かオースチンのショウで渡す約束をしてから)ところで、インタヴューのために割り当てられた時間をちょっと超過していますが、私たちと話すためにお時間を割いていただいたことに感謝します。ファンたちも久しぶりにあなたの声を聴いて興奮することでしょう。

J:ああ、だいたい話し尽くしたかな。

Q:最後に、あなたをサザン・ロック特集で取り上げる予定なのですが、私にはあなたをあのジャンルで扱ったことはないのですよ。あなたは自分の音楽をサザン・ロックと考えたことはありますか?

J:ない、まったくないね。たぶん何かマッコイズとやったロックン・ロール作品がちょっとそのあたりになるかな。(二人とも笑)

Q:ところで、あなたは1970年のアトランタ・ポップ・フェスティヴァルでオールマン・ブラザーズとジャムりましたよね。どんなでしたか?

J:ああ、すごかったよ。ほんとに楽しかったな。デュアンの演奏は好きだった。彼は偉大だった。そのときのテープがどこかにあるはずなんだが、持っていないんだ。誰もくれないから。

訳:東淀川スリム氏