1991年のインタビュー

1991年のインタビュー
UniVibes 第4号より引用

Q:ジミ・ヘンドリックスに最初に会ったのはいつでしたか?

Johnny(以下J):俺のマネージャだったスティーヴ・ポールが経営していたザ・シーン・クラブで1968年に会った。ジミにはニューヨークにいるときはいつもザ・シーンにいて何度も一緒に演奏した。彼はどこでも出かけて行ってジャムっていたな。彼がよく通っていたクラブにジ・エクスペリエンスというのがあったけど、どこであろうが行きたいと思ったら出かけていって、そこにいるなら誰とであろうが一緒に演奏して、ジャムを沢山録音していたよ。一晩中クラブにたむろって、夜も白むころにまだシラフなヤツがいたら誰であれスタジオに連れて帰っちまうんだ。わかるだろう、彼はホントに演奏するのが好きだったのさ。

Q:ミュージシャンとしてではなく一人の人間としてのジミはどういう印象でしたか?

J:実のところ一人の人間としてジミを知る機会はなかったな。ジミはいつも音楽に没頭していて何か「シリアス」なことについて話すことはなかった。俺たちは音楽について話しただけだった。彼が抱えている問題とかその種のことについて話した限りでは、とても外向的な人だとは思えなかった。彼は「おい、今日はマジ気分が悪いぜ」と言ったことはない。気分が優れなくても自分の中に閉じ込めていたんだ。話し相手として俺よりも親しい人が沢山いたはずだけど、音楽や彼がやっていることを除くとそんなに外向的な人には見えなかったな。人として彼がどうかなんて知りたくもないし。

Q:レコード・プラントでジミ、ステファン・スティルス、ダラス・テイラ―と録音しましたね。思い出はありますか?

J:うん、そうだね、レコード・プラントでジミと録音したしザ・シーンではダラスやステファンと演奏したけど、二人は録音には参加してないと思うよ。彼らはスタジオにいなかったと思うけど確信はもてないな。昔の話し出しだし。
(原註:ステファン・スティルスはレコード・プラントでのセッションはジミ、ジョニー、ダラスそして彼自身だったと証言している)

Q:あなた方はギター・スリムの「The Things I Used To Do」を録音しましたね。

J:あぁ、やったよ。1990年の「Lifelines」で発表されたね。俺はカセットで持っているんだけど、4本ある。ジミはあらゆることをいろいろな方法でやっていて、それまでリリースされていなかった作品もあった。興味深い一群のテープといった感じで、「The Things I Used To Do」が収録されている。ぶっつけ本番のジャムとすればOKだったね。

Q:「Sky High」というジミ・ヘンドリックスのブートレグでジム・モリスンその他と「Red House」や「Sunshine Of Your Love」などをあなたが演奏しているとクレジットされているのを見かけますが・・・

J:ジム・モリスンには会ったことないよ!全部ジミとジムのアルバムで俺も加わっていると思われているけどジム・モリスンには会ったことなどないから違うと思うよ。何でそんな噂が立ったかしらないけど。

Q:ジミがステージを中座した1970年1月28日のマジソン・スクエア・ガーデンでのバンド・オヴ・ジプシーズのコンサートに居合わせていましたね。ジミは何が悪かったと思いますか?

J:わからん。俺が聞いた限りでは何か悪いアシッドをやっとか・・・・誰かわかるかい?俺はその夜そこにいたんだけど、かなりはっきりと悪い雰囲気だった。ドラッグなのか、たまたまその晩ジミの調子が悪かったのかまったく分からないけど、おっかなかったな。それが何だったのかおぼろげな記憶もないけど、俺が見た中じゃ一番おっかない出来事だったな。

Q:最後にジミに会ったときのこと覚えてますか?

J:いや、はっきりしないな。彼はかなり良く見かけた。いつでもどこでも彼のところに飛んでいったんだが、最後の時のことはまったく思い出せない。

Q:彼が生きていたとしたら、何をしているだろうと思いますか?もっとスゴイことをやっていると思いますか?

J:きっともっとやってると思うよ。彼ほど演奏が好きなヤツは会ったことがないし、いつも何かアイディアを抱えていた。コマーシャルな方向でというになるのか、あるいはとても変わったことをやらかすかは分からないけど、彼にはいつも新しいアイディアがあった。もし彼が生きていたとしたら、かつてそうだったようにグレイトであり続けるさ。おそらく彼はそうするためには痛みを経験しなくちゃならないだろうけど、きっとコトはうまく運んだはずさ。

訳:東淀川スリム氏