1974年Jas Obrechtによるインタビュー

1974年Jas Obrechtによるインタビュー
Guitar Magazine 1992年10月号より引用

Q:初めて音楽と接したのはいつですか?

Johnny(以下J): まずクラリネットを始めたんだが、矯正歯科医が噛み合わせが悪くなるからやめた方がいいと言ったんだ。 それからウクレレが家に転がってたんで、親父がコードを少し教えてくれた。当時俺はウサギを飼っていてすごく可愛がっていた。 それが死んだ時、祖父がバリトン・ウクレレを買って俺をなぐさめてくれたんだ。それで2年ほど弟のエドガーと一緒に男性四重唱団をやっていた。 そこでは親父が教えてくれた「Ain’t She Sweet」や「Bye-Bye Blackbird」なんかを演奏していたよ。 ギターを弾こうと思ったのは、ずっとあとになってからだ。俺の手は小さいんで、フィンガー・ポジションが変なんだ。 でも親父が「ウクレレのうまい奴はふたりしかいない、ウクレレ・アイクとアーサー・ゴッドフレイだけだ。 お前はウクレレをやってもチャンスはないだろうから、ギターをやった方がいい」って言ったし、ロックン・ロールが流行りだして、 そういうバンドには俺が本当に好きなウクレレ・プレイヤーはいなかった。それで”それならギターをやろう”と思ったんだ。

Q:ブルースを最初に聴いたきっかけは?

J:ボーモントの黒人放送局に黒人のDJがいて、彼はギターも弾いてた。 クラレンス・ガーロウという名だ(原注:アラジンやフィーチャー、フレアー、フォークスタット、ゴールドバンド、リリックなどのレーベルのアーティストでもある)。 彼はブルース・ショーもやっていたので、電話して何曲か放送でプレイしてくれないかと頼んだんだ。 俺たちは友達になって、俺は彼のショーを観に行ったんだ。ブルースをプレイするのを聴いたのは彼が最初だった。 ブルースとケイジャンをミックスしたクリフトン・シェニュのようなサウンドで、フレンチ・オリエンテッド・ブルースだ。変わっているけど良い男で、カッコ良かった。 当時白人でブルースをやっているミュージシャンはまだ少なくて、クラレンスは俺が本気だとわかってくれた。だから彼も時間をとってくれたんだ。 俺は弟子みたいなもんだったよ。俺が出かけていくと、何でも弾いてくれて俺に教えてくれたんだ。プレーンの3弦を初めて教えてくれたのも彼だった。 俺はボビー・ブランドやオーティス・ラッシュを聴いては、ありふれた古いギブソン・ソノマティックスの弦で「どうやって弦をペンドしてるんだ、一体どうやってるんだ」と不思議に思ったもんだよ(笑)。 だからトレモロ・バーをいっぱい使って、同じように聴こえるまでぐっと下げた。プレーンの3弦でさえもね。 それから、みんながやってるのは3弦のところに2弦を張って、要するに普通の低音側と2弦を2本、1弦で弾いているんだということがわかった。 そうなると俺はもっとクールにやりたくなって、2弦を3弦に使い、1弦を2弦に、Aテナーのパンジョーの弦を1弦に使った。 あれはすごくクールで、なかなかのものだった! とても役に立ったね。

Q:教えてくれたのはクラレンス・ガーロウだけだったんですか?

J:他にも何人かいたよ。でも楽譜を読んだり指をどこに置くかなんて習ったことはない。こういう 人たちに、俺が知っておいた方が良いことを教えてくれと頼んだだけだ。 俺が凄いと思ったのはルーサー・ネイリーさ。うまいカントリー・ギター・プレイヤーだ。この前話した時は、ロイ・ロジャースのところでベースを弾いていたよ(笑)。 彼はポーモントのジェフアーソン・ミュージック・カンパニーで仕事をしていた。俺のことを見込んでくれたみたいで、とても良い友人になった。 フィンガースタイルにははまってね、マール・トラヴィスとチェットアトキンスなんかを聴いてた。今でも好きだよ。チェット・アトキンスは素晴らしい。 全然違ったタイプに惹かれたんだ。カントリー&ウェスタンが流行っでた頃で、ルーサーはそれがうまかった。 「ホンキー・トンク」なんかをやって見せてくれ、俺が彼の知らないことを尋ねた時なんか、わざわざレコードを買って、どうやってるのか考えてから、俺に教えてくれたりしたんだ。 俺がブルースに興味を持った時も、ルーサーはあまり詳しくなかったんだ。 その頃には俺も基礎ができてたから、たくさんレコードを買って自分でなんとか弾けるようにした。 レコードを聴いてフレーズを自分で学んだんだ。他にもセイモア・ドルーガンというギグ・バンドでプレイしてる人も知ってた。 その昔彼はリッケンバッカーで少し仕事をしていた。どっちかというとジャズ・ギタリストで2、3回習ってコードなどを覚えた。 俺はジャズには行きたくなかったけれど、ちょっと彼から習うのもクールだなって思ったんだ。 その後、彼の息子のデニスが俺の最初のロックン・ロール・バンド.ジョニー&ザ・ジャマーズのペースをやってくれたんだよ(笑)。

Q:レコードからギターを学んでいる時、フレーズを盗みましたか、それともただフィーリングを感じてただけですか?

J:俺は1音1音弾いてみていた。どんな風にやるべきかわかってくると、聴いたことを自分なりに真似てみた。 だから、半分俺で、半分他の人のものだった。真の意味でオリジナルを弾ける人などいやしないよ。 無理なんだ。誰にしても、きっと誰か他の人の何かが入ってるものなんだよ。 俺は基本的なことができるようになったら、自分流に弾くように心がけるようになったんだ。

Q:御両親は精神的にも.あなたをサポートしてくれましたか?

J:最初はそうだったんだが、少し経つとあんまりクールなことじゃないと思わせようとし始めた。 ずっとツアーに出たっきりになるとか、ミュージシャンというのはみんな酔っ払いで、麻薬中毒で、性的変態だとか言ってね。 俺はこう言った「でもみんながみんなそうとは限らないよ」もちろん、両親が言うのはもっともだった。 でも、俺がどうしてもやりたいということがわかると、できる限りのことをしてくれたよ。

Q:御両親も何かフレイできたんですか?

J:おふくろはピアノを弾いて歌もちょっと歌えた、単に楽しみとしてだったけど。 親父は大学でバンドに入ってて、サックスやパンジョーが少し弾けたけれど、それも趣味程度だった。

Q:町でブルースをやっていた白人は、あなたと弟のエドガーだけだったんですか?

J:エドガーはブルースにはまったく興味がなかった。大嫌いだったくらいだ。 彼はジョン・コルトレーンやデイヴ・ブルーべックのレコードをかけて、「すごいだろ?」って言った。 それで俺はマディ・ウォーターズやライトニン・ホプキンスをかけては「いいや、こっちこそすごいだろ?」な んてやってたもんだ。 「一体お前がかけでるのは何だい?俺にはまったく何も感じられないね、というか、フィーリングはあるけど、なんだか単なる昔の塊じゃないか。こっちを聴いてみろって」 と俺は言って、ギターのチューニングが合っていなくて金切り声で歌ってるレコードを探してかけてやった。するとエドガーはこう言うんだ。 「そんなの音楽と言えるか! ひどい代物だ、ギターはチューニングがなってないし、メロディもありゃしない、みんなてんでバラバラにやってるだけじやないか」 で、俺が「そうなんだ、でもフィーリングがすっごくいい!」って言い返したら、ヤツは「気分が悪くなっちまう!」なんて言い合って。 俺たちはこうやって大きくなったんだよ。今でもそうなんだぜ!(笑)お互いにやってることには敬意を払ってるよ、でもお互い自分ではやれないと思うんだ。 エドガーのジャズは聴いていて楽しいけれど、自分ではやりたくないなあ。

Q:あなたはユニークですね・・・・・・・・・。

J:(笑)俺がユニークだって? そうとも。みんな俺のことをクレイジーだと思ってたよ。 誰も聴きたくないと言ってたくらいだ。自分でもプレイするのが恥ずかしかったほどで、ドアを閉めて誰も入れないようにしてプレイしたものさ。 「それって音楽かい!本当は気に入ってないんだろ?」って言われるのがいやだった。 23、4歳になるまで、ブルースが好きな友人はただのひとりもできなかったんだ。

Q:クラレンス・ガーロウは?

J:ああ、黒人たちはね! 黒人のクラブへ行ってブルースをプレイしていたもんだ。俺がギグをやれたのはそういうところだけだった。 レイバンズなどへ出かけたりして、そこでB.B.キングにも出会った。最初に会った日に彼とジャム・セッションしたんだ。俺が18歳の頃だった。 1500人ほど入るクラブで、白人は俺だけだった。でも誰も何も危害は加えなかったよ。みんなすごくクールだった。 B.B.キングがプレイしに来る以前から、みんな俺のことを知っていたからだ。俺は見せぴらかしたかったんだよ、ちゃんとプレイできることをB.B.に見せたかった。 でも,酔いが回るにつれて、なんとか彼と「緒にやりたいと思うようになっていったんだ。 しばらくして黒人の友人たちがやってきて「来いよ、B.B.と一緒にやらないか?」と声をかけてくれた。 それで休憩の時、B.B.のところに行って、プレイさせてもらえるかっで聞いたんだ(笑)。 B.B.は,こいつ頭がおかしいのかと思ったんだろうな。「ユニオンの会員証を見せてもらえるか」と開くんだ。 俺がさっと取り出してみせると、彼は驚いた、みんなそうだけどね。まあ、俺がその立場だったら、誰にもプレイさせないね。 B.B.は ビッグでみんなに愛されていた。俺が本当にプレイできるかどうかもわからないのに、さあ入れよ、なんて言えるわけがないさ。 それで「だが,俺たちの曲を知らないだろ」って彼は言ったんだ。 だから俺はこういった「そんな、あなたの曲はよく知ってます、ぜ~んぶ知ってます。どの曲だってプレイできるから、どうかやらせて下さい」とね。 彼は「そうだね、ちょっと考えさせてくれ」と言った。そこへ俺の友達がやってきて、「やらせてもらえそうかい?」って聞くんだ。 だから「わからない、君たちから言ってもらえないかな」と俺は答えた。そうしたら2~300人の黒人たちが「なんだい,やらせてやれよ!」って叫び始めたんだ。 B.B.も俺が大したことなくても、これだけの友達がいるからには一応やらせてもいいなと思ったんだろう。どうせ恥かくだろうけどってね。それでプレイさせてもらえたんだ。 俺はB.B.の曲を1曲やった。そうしたら、みんなぶっ飛んだんだ。なにしろ、白人なんて誰も入り込んでいなかった時代だからね。 そこにいた人たちには、俺が本気でみんなと仲良くなりたいと思っていて、彼らの音楽が好きだってことがわかったんだ。 とにかく、みんなぶっ飛んで、大騒ぎになった。B.B.も「凄いじやないか!続けるんだな、きっと成功するよ」と言ってくれたよ。 何年か経って、また彼に会ったんだが、俺のことをすぐに思い出して、抱きしめてくれた。インタビューでも、よく俺をすごく褒めてくれている。 B.B.は本当にカになってくれた、素晴らしい人物だよ。 俺はレイバンズにはよく出入りしていて、誰とでも一緒にプレイした。ボビー・ブランド、ジュニア・パーカーなど、あそこに出ていた人たちほとんどと一緒にやったよ。 俺は、人種問題が険悪になるまで、そうやってプレイしていたんだ。 でも、多くの若い黒人たちは、だんだんと白人が自分たちのクラブにやってくるのに反感を持ち始めたんだ。 だから俺も居心地が悪くなって、出入りするのをやめた。理由はいろいろあったんだけどね。 「お前たちのクラブに俺たちを入れさせないんだから、俺たちのクラブにも入れさせない」ということと、その頃にはブルースはもう流行らなくなっていたこともある。 黒人たち自身、黒人がブルースをプレイするのを嫌がったんだ。白人ならなおさらだ。恥だと思われるようになったんだ。 ブルースは無知で貧しい黒人の音楽と思われた。 以前は誰かの家に行くと、ライトニン・ホプキンスとかマディ・ウォーターズのレコードがあったもんだが、そのうち彼らはそれを割ってしまって、 ニーナ・シモンのアルバムなど、もっとクールなものを手に入れるようになったんだ。 というわけでブルースという古臭い音楽は消えてしまった。黒人はブルースを恥だと思い、白人はまだ好きになってはいなかった。 だから、のちに若い英国人たちが取り上げるようになるまで、ブルースを聴くやつなんか誰もいなかったのさ。

Q:あなたは今どんなギターを弾いてますか?

J:ファイアーバードだ、好きなんだ。

Q:何か改造しているところは?

J:トレモロを取って,テイルピースを換えてるよ。

Q:トーンとボリュームはどうセットしてますか?

J:すべて全開だよ。

Q:アンプは?

J:全開さ。トレブルも全開だが、ベースはなしだ。100ワットのスタック・マーシャルを使っている。 ヘッドがひとつでボトムがふたつだ。アンペグのSVTもヘッドがひとつでボトムがふたつだ。

Q:スタジオではとうですか、同じくマーシャルですか?

J:うん、ほとんど一緒だね。以前はマーシャルは大嫌いだったんだ、歪みすぎるんだよ。だから(フェンダー)ツイン以外は使いたくなかった。 でもこれだけ何年も音楽を聴いてくると、俺のギターの聴こえ方も変わってきたんだと思う。今ではマーシャルの歪みが好きなんだ。 少しディストーションがあった方がいい。ありすぎるのは困るが、特に小さなグループでやってる時はノイズやサスティンが多少必要なんだ。 でもクループが大きくなるにつれて、ディストーションも少ない方が良くなってくる。何と言ってもプレイしている音楽のタイプによるよ。 スローできれいな曲にはデイストーションはまったくいらないが、わめいて「ノリまくれ!」って感じの曲にはディストーションがあった方がいい。

Q:モニター・システムは何ですか?

J:知らないよ!(笑)アンプのつなぎ方だってよく知らないんだぜ!最近のものは全然知らない。 俺はセットアップじやない昔のフェンダー・ベースマンと、スーパー・リバーブみたいなものだけ使ってるんだ。それならよくわかる。 今のはまったくわからないね!(笑)

Q:ファイアーバード以外には、とのようなギターを持ってますか?

J:ファイアーバードを3本と、58年か59年のギブソン・サンバーストだったかな、モデル名は覚えるのが苦手でね。 大きなフラットトップで、インレイもそんなに手が込んだやつじゃない。たぶん一番安いやつじやないかな。 「チープ・テキーラ」や「トゥー・マッチ・セコナル」(『ステイル・アライヴ・アンド・ウェル』に収録)なんかで使ったよ。 アコースティック・ギターはほとんどこれだ。ナショナル・スティールを使ってる場合もある。ああいう小さなギターが好きなんだ。 新しいのを1本と古いのを2本はど持ってる。コレクションしてるんだ。それとピックアップがふたつでソリッド・ボディのエビフォンもある。 ダブルネックやけっこう新しいⅤ(ギブソン・フライングⅤ)もあるけど、これは今出ているひどい代物じゃない。そうじゃなくて,かなりいいやつだ。 年代はよく覚えてない。それに、ジョン・ヴェレノが作ったすべて金属製の変なギターもある。このネックは世界で一番薄いんだ。 ソリッド・メタルだから、ネックが反る心配もないしね。でもちょっと使い慣れていない。 ネックが薄すぎる感じだし、スポットライトが当たると、ネックのドットが見えなくなる。だからステージでは使ってない。 でもヴェレノはなかなかいいギターを作るね。使い慣れると、とても良いギターになると思うよ。

Q:楽譜は読めますか?

J:いや全然。

Q:スタジオでは,他のミュージシャンにあなたが考えていることをどうやって伝えるんですか、誰か他の人に楽譜にしてもらうんですか?

J:そんなことなんかしないよ!(笑)まさか!楽譜に書いたって、俺のバンド・メンバーには何のことかわからないさ。 「この曲をやろうぜ」と言うだけさ。気に入らなければ、気に入らないって言って、どこが気に入らないか説明するんだよ。 そうやって、うまくいくまでやるわけ。やっては直しという感じだね。だから決まりきったやり方なんてない。そのうちあるべきところに落ち着くものなんだ。

Q:理論とか本を読んで音楽をやるわけじゃないんですね。

J:そうさ。そんなことは習いたいと思ったことさえないね。うまいフレーズを習って、みんなに見せびらかしたかっただけだよ!(笑)

Q:いつも練習していましたか?

J:時間を決めてやってたわけじゃない。他に何もやっていない時にやってた。何かやらなければならないようなことがない時は、いつもギターを弾いていた。 とりつかれたみたいな感じでね。15歳で始めてから、毎日6時間から8時間は弾いていたよ。 クループでやるようになってからはバンドで練習する以外はやらなくなった。あの頃はだらだらしすぎていたなあ。 それ以外は1日1時間くらいは弾いていたよ。

Q:今も練習しますか?

J:ああ、でもツアーに行く時とかレコードを作る時だね。2週間くらいギターにまったく触らない時もある。だから、次に手にする時はまた慣れるのに1週間くらいかかる。 練習する気になかなかなれないんだ。習いたいと思うようなことがあまりないんでね。 俺は自分のスタイルが気に入ってるし、新しい曲を作ってる時とか、一体どうやってるんだろうと思うようなフレーズでも耳にすれば俺はギターを手にする。 でも普通は何か目的がある時だけ練習しているな。ツアーではプレイばかりなんで、ツアーが終るともうしばらくはギターを見たくない気分になるんだ。

Q:左手の小指はよく使いますか?

J:少しはね、でも他の人ほどじゃない。間違った弾き方を習ったんだ。右手もそうなんだけど。 チェット・アトキンスを弾き始めた時、サム・ピックを使ってた。 フラットピックの方がずっと良かったんだろうが、これまでそのままやってきたんで、今さら変えるのは大変なんだ。 それに左手の小指は、4本よりは5本の指を使った方がずっとうまく弾けると納得するまで使わなかった。自分でやっとわかったんだ。 かなり難しくて、今でも俺の小指は強さが今ひとつの感じだ。だから、強く弾きたい時は薬指を使ってる。

Q:スライドにはどの指を使いますか?

J:薬指を使ってたんだが、デンバー・フォークロア・ソサエティにいる友人が小指にした方が良いと教えてくれた。そうすれば他の指でコードなども弾けるからね。 スライドはもう何年もやってて、初めは試験管や腕時計の裏側や、もう使えるものなら何でも使ってた。 でも、その友人が,配管道具屋へ行って、長さ12フィートの導管を切ってもらい、一面を丸くしてもらえと言うんだ。 そうやってみたんだが、なんだか鈍くて灰色の荒い仕上がりだった。それを使っているうちに削れてきて黒光りするようになった。 もっと使っていると、さらに馴染んできて、今では銀色だ。内側は錆や填や汗なんかで、ちょっと固まっている。こいつが最高なんだ! 予備のスライドなんてまったくいらない。このスライドを5年間もなくさなかったなんて、自分でも信じられないくらいさ!(笑)

Q:ピフラートはどうしていますか?

J:指を使い出したのは67年くらいからだ。それまではいつもトレモロ・バーを使ってたよ。 クールなギター・プレイヤーなら指を使うもんだってことになったのも、その頃だった。バーを使うのはごまかしてるというわけさ。 それで俺もクールになりたかったから、「若い連中が指を使うんなら,俺だって指を使えるようになってやる(笑)」と思ったんだ。 1年ほど練習してうまくなり、トレモロ・バーが邪魔になっているんだということに気がついた。チューニングを保っておくのが難しいんだよ。 それで、クールなエフェクトではあったんだけれど、使わないことにしたのさ。 ジミ・へンドリックスはトレモロの使い方がすごくクールだった。それなのに、みんなはトレモロを使ってると言ってけなしたんだぜ! だが彼が使うとまったく違った感覚が出せたんだ。ギターのチューニングがメチャクチャずれていても、すごくクールにプレイしたから、誰も気がつかなかったくらいだ。 ジミはうまくベンディングすることで、チューニングがメチャクチャでも、ぴったりのチューニングに持っていくことができたんだよ。 俺が彼のギターでコードを弾いても、あんな風にはできない。バーを使ってさらにエフェクトが得られるんなら,使ったってまったくかまわないと俺は思うよ。 でも俺の場合は邪魔になるんで,ない方がいい。

Q:サム・ピックはどこのものですか?

J:ギブソンだ。もう作っていないから、このモデルが何だったかを知りたいんだ。もう長年、これを使ってきたから、これでしか弾けないよ。 幸い2年ほど前に100個ほど買ってあるんだ。なかなか見つからないピックだったんだが、その数ヵ月後にギブソンは製造をやめたんだ。 まだ50個ほど残ってるけど、これがなくなったら、ギターをやめなくちゃならない。俺の話を聞いてギブソンが作ってくれない限りね(笑)。 残りが20個になったら、ギブソンへ行って頼まなくちゃ「何でもするから、お願いだ!」ってね。

Q:ピッキングはオルタネイトですか?

J:そんなこと考えたことがない。 チェット・アトキンスの曲をやり始めた時は、金属製のフィンガーピックを使ってたんだけど、邪魔になったんでやめた。 でもブルースの時は、今でも指を使う。おもに親指と人差指と中指だ。

Q:フレーズはどこから聴くのですか? コードから、スケールから、それともパターンですか?

J:そんなのわからないよ!(笑)ただ聴くだけさ!たくさんレコードを聴いてみるといろんな違ったやり方があるから、考えたこともないね。 聴こえてくること全部からだよ。コードとか、スケールとか、パターンからなんて考えてない。

Q:弦は何を使ってますか?

J:009、011、016、024、032、042で、ブランドはどこでもいい。

Q:よく換えますか?

J:切れたらね(笑)。低い方が変な音がし出すと、換えるんだ。 それとか低いのを切ったとか、1本だけ換えてもおかしなサウンドになるとかいう時は全部換える。 高い方を切っても大したことじやない。上の1、2、3弦は1本ずつ換える。4、5、6弦が1本切れた時はもう全部換えるね。

Q:ステージでは、インプロヴィゼーションか多いですか、それともレコードのとおりですか?

J:両方だ。自分のアルバムはもう何度も聴いてるから1、2時間ならレコードと同じように弾ける。 でもステージの方が、レコードよりギターをよく弾くんで、レコードと同じというわけにはいかない。俺はその時々のプレイをする。 時には、今までやったことがないようなプレイをして、バンドがついて来れるか試したりね。同じことを何度も何度もやるのはすごく退屈だ。 レコードよりクラブの方が好きなんだ。バンドのメンバーはみんな同じレコードを聴いてるんで、「これをやろう」と俺が言ってもけっこううまく行く。 ステージでの方が、練習している時よりいろいろ勉強になるしね。 ギターの弾き方を覚えてからは、練習はそれほどしたくない方なんだ。人々を乗せることで自分も楽しめる。 誰もいないのに一生懸命やるのはどうにもならないしね。

Q:チューニングはとうしてますか?

J:オープンAとオープンE。スライドの時はレギュラーにすることもあるが、めったにないね。

Q:聴力は大丈夫ですか?

J:どうかわからない。でも何だかやられてる気もする(笑)。ツアーのあとは、人の話し声より自分の耳鳴りの方が大きいように感じることもあるんだ。 でも十分休めば、また完全に元どおりになってるよ。

Q:検査をしたことはありますか?

J:うん、大丈夫だったよ、ほっとした。でも耳に悪いことは間違いない。前列に座ってる人の方がひどいんだ。 俺はアンプを横へやって、俺が立っているところが前列2、3番目ほどひどくないようにする。俺は金をもらっても最前列には座らないね。 本当に危険なんだ。ある晩なんか135デシベルにもなって、信じられなかった。観客は大事びだよ。みんなアンプの真ん前に耳があるんだ。 ある時、スピーカー・ホーンにはい上がって来た奴がいたんだぜ。絶対、完全にイカレてたに違いないよ。 あれだけの音を耳にしてるとおかしくなるんだ。

Q:あなたは、ジミ(ヘンドリックス)とのジャム・セッションは、お互い尊敬し合いすぎて、うまくいかなかったと言ってましたね。

J:ああ、お互いに引っこんで相手がプレイするのを待ってしまう。 俺はジミのプレイが心底好きだったから、ジミにリズムをやってもらうなんてどうにも居心地が悪かった。 だから少しだけ弾いて、すぐに彼のプレイを待ってたんだ。ジミも少しだけ弾くとすぐに待ちに入る。そんな風でね(笑)。 いろんな場所でジャムったし、スタジオでも二度ほど一緒にやった。ジミは大勢友人を連れて来て、ひと晩中ジャムっていたよ。

Q:お互いのレコードにこっそり参加しているということはないですか?

J:ない、それは一度もやらなかった。ロンドンで出てるブートレッグに、俺が入っているというのがあって、俺も聴いてみたんだ。 でもあれは絶対俺じゃない。ひどいプレイだ。

Q:これからのミュージシャンに何かアドバイスはありますか?

J:初期の頃は、今の連中がやってるようなテクニックなんか誰もやってなかった。本当にうまいロックン・ロール・ギター・プレイヤーはいなかったんだ。 チャック・べリーが最高だけど、それでもリズムといっていい程度だ。だけどチャック・ペリーのようにプレイするのは大変だった。 50年代のジミ・へンドリックスと言える。誰もチャック・べリーのようにプレイできなかったんだよ。 今では、ギター・プレイヤーはかなり難しいことから始めるようになっている。今の連中の方がテクが格段に上だということだ。 でもそれをうまく使いこなせていないんだ。味のあるプレイができてない。 俺もやり始めて1年半かそこらという連中と大勢話してきたし、彼らが実に速く弾けることは知ってる。 うまくなりたいと思ってるようだが、何年も練習しないとだめだということがわからないんだな。 他のミュージシャンと一緒に、いろんな種類の音楽をたくさんプレイしなくちやならない。 そうやっで自分が何をプレイしてるのか、なぜプレイしているのかがわかってくるんだ。 単に弾きまくって「どうだい、これだけ音がいっぱい出せるんだぜ、アルヴィン・リーと同じくらい速いだろ!」なんて言ってもだめなんだ。 中には、そういうプレイを、曲とまったく関係ないところに入れてる連中もいる。 今の時代は物事が何でも早くなって、「あれが欲しい、今すぐ欲しい」というのが世間の風潮なんだろう。 でもうまくやろうとすれば、何年もかかるものなんだ。だけどそんなに時間をかけて練習したりしない連中が多い。 彼らは音がどうなっていくのかとか、どういう意味があるのか知りたくないんだ。 どうしてこうなっているのか、それをどうやって自分の曲に応用したり使ったりするかということを考えない。 テクがどれだけあるとか、どんなに速くたくさんの音を出せるかなんて、大したことじやないんだ。2年ほどでは、まだまだだっでことだよ。

Q:つまり、スターにのし上かりたいという欲求と、音楽を愛することは違うということですか?

J:そうなんだ、全然違うんだ。両立させるにしても、まずは音楽を愛してるってことが土台となる。 大勢の人がギターを買う理由として「オレはロックン・ロールのスターになるんだ。だったらこの楽器を弾けるようにならなきゃ、しょうがねえだろ」って思ってる。 それでちょっとばかし弾けるようになると、「これでスターになれるぞ」と粋がる。俺なんか週50ドルでも喜んでプレイしてたよ。 確かにロックン・ロール・スターになりたかったけれど、それはみんなに認められたかったからだ。みんなにあいつはうまいと思ってもらいたかった。 でも根本的な部分は自分がやってることが好きだったということだ。最初にそんな気持ちがないと、ものにならないんじやないかな。

訳:東淀川スリム氏