1974年 インタヴュアー不明のインタビュー記事

1974年 インタヴュアー不明のインタビュー記事
掲載誌不明 1974年10月頃と推定

ジョニーはロンドン行でかなり興奮していた。

「最後に行ったのはいつだったのか昨晩思い出そうとしたんだけど….1971年だったようで、かなり前だな。
オーディエンスが静かで穏やかなんで不思議に思うだろうといつも言われてたけど、まったくそんな風ではなかったな。
いい演奏をしたりロックン・ロールを演奏すればアメリカのオーディエンスとまったく同じだし、静かな曲をやれば座って聴き入るさ」

ニュー・アルバムに関しては、マスタリングを除いて仕上がっている。ジョニーはこれまでのアルバムよりも沢山の曲を書いた。 全部のうちの5曲だ。3曲はブルースに基づくもので、彼の弁によればそのうちのいくつかは彼の大昔のやり方でやったブルースだそうだ。

「このアルバムはかなり変わっていて、久しくやらなかったかなり古いジョニー・ウィンター作品をいくつか含んでいる。そして俺だとは誰も信じないような違ったものもいくつかあるんだ。 俺が書いた曲のうちの二つについて言えば、一つは’Love Song To Me’という自分についてのカントリー・ウェスタンの曲で、いかに自分を愛しているか歌っている…. そしてもう1曲かなりかわいらしいバラードも書いた。いくつかの曲はストリングス、シンセサイザー、キーボード… ボーカル・グループといったお決まりによってかなり大掛かりで静かなプロダクションだ。そして本当にベーシックな三人編成の曲もいくつかある。 古いジョニー・ウィンターからの大きな逸脱だな。新しいジョニー・ウィンターだと言われるかどうか分からないけど、確かに違うんだ」

「でも俺はカテゴリー化を超えた地点に行き着こうとしているんだ。いつでも、お前は一体何者なんだ?とか、ロックン・ロール・プレイヤーなのかブルース・プレイヤーなのか?とか、 どんな方向に行きたいのか?って言われるだろう。俺は自分が許容できるすべての方向に行きたいんだ。閉じ込められたような気分にはなりたくない。 俺がスローな歌とか、バラードとか、カントリ・ソングとかやる、あるいは100人編成のオーケストラを使うとか、あるいはブルースをやるとする。 すると人々は『ねえ、ジョニーはそんなことするべきじゃないよ、彼らしくないじゃないか』と言うだろう。俺は別な方向に行きたいんじゃないんだ。 自分がやってきたことを広げてうまくできたことについては受け入れてもらいたいんだ」

実際のレコーディングはそんなにかかっていないが、ジョニーは作業は約4ヶ月だったと語った。まず曲を書き、録音をし、そしてさらにいくつか曲を書き、レコード・プラントに戻って録音したのだ。

「ふつう俺たちのアルバムは2週間でできる。というのは俺はあまり曲を書かないから。ほかのアルバムでは古いロックン・ロール・スタンダードのようなネタをやったんだ。 今回はもっと時間がかかったが、もっとクリエイティヴだ」とジョニーは笑った。

タイトルは”John Dawson Winter III”(邦題は『俺は天才ギタリスト!』)、彼の本名だ。

「そうしたのはアルバム・カヴァの写真にちょうど合っているからだ。俺はジョン・ドウソン・ウィンター3世だって感じにに見えるだろう」

ウィンターはさらに続けた。

「レコードを作るのは好きだな。いいコンサートをすればいいひとときを与え、たぶんいいレヴューを受け取るが、それで終わりだ。 でもレコードなら今から50年後でも聴くことができるし、そのとき何をやっていたか分かり、本当に何かを創造したと実感する。とても楽しい。 でもスタジオではオーディエンスを前にしたときほど気持ち良くはないな。オーディエンスに向かって一所懸命やればどんな感じかすぐに分かるし、 オーディエンスがのれば俺ものるんだ。 スタジオでは難しい。それほど盛り上がらない」

「自分のアルバムを繰り返し聴くのは好きだけど、・・・・古いアルバムはそうでもない。何年も聴いていないアルバムもあるかもしれない。 いつも家に帰って自分のアルバムを聴いてるわけじゃないんだ」

“John Dawson Winter III”のうちの1曲はジョン・レノンからの贈り物になる。

「ジョンは実は自分のために曲を書いたんだが、自分でやってみてあまり気に入らなかったんだ。俺はずっとジョンのファンで、彼もレコード・プラントで作業をしていた。 それで俺のプロデューサのシェリーが下の階でレコーディングしているんだけど、何か俺が使えるようなものがないか訊いたんだ。 そしたらジョンが『ああ、あるよ』と言って曲のデモをくれた。俺はそれがとても気に入り、やることになったんだ。”Rock and Roll People”と言う名前で、テンポの速いシャッフルだ」

「リック・デリンジャーも”Roll with me”という曲を書いていて、最後の2日間は一緒にスタジオにいたんだ。そしてアラン・トゥーサンは”Mind over matter”を書いた。 曲に関しては沢山の人にアプローチして、曲の選択の前にマネージメントは200人以上もリストに挙げていたんだ」

私は音楽上まだやっていない秘密の計画を隠していないか訊いてみた。

「ああ、やってみたいことは二つあって、一つはまったくのカントリー・アルバム”a stone country album”をいつか出したい。 そして気が向いたら元に戻ってブルースだけのアルバム”an album of nothing but blues”をやりたいな。今はどちらもやりたくないけど、でも将来いつかはこの二つをやりたいな」

ヨーロッパ・ツアーでジョニーに同行するのはベースのランディ・ジョー・ホブズとドラムスのリチャード・ヒューズ、 そしてリズム・ギターのフロイド・ラドフォードだ(フロイドは以前ティン・ハウスやホワイト・トラッシュで演奏している)。 みなブルー・スカイ+スティーヴ・ポール+ウィンター・ファミリーの一員だ。ウィンター自身は新しいギター・プレイヤーの演奏ぶりに夢中だ。

「1週間も一緒でなかったんだから不思議だな。でも良くなければ雇わなかっただろう。スティーヴ・ポールがティン・ハウスをマネージするまで彼には会ったことなかったんだが、 一緒になってちょっと練習したらほんとにうまくいったんだ。加えてフロイドはとてもよい作曲家だと分かって、これも俺にはほんとに必要なんだ。 最近は以前よりは多く手がけてはいるものの、自分に作曲の才があるとは考えたことはない」

ギター・マニアのために言っておくと、ジョニーは旅に出るときは2本の楽器を持っていく。両方とも同じくギブソン・ファイアバードだ。

「1本はずっと弾いていて、もう1本は何か起こったときのためにケースに入れてある。盗まれたりショウの間に弦が切れたりしても時間を無駄にせずに交換することができる。 1本のギターに慣れきってしまうと他のを弾くのはほんとに大変だ。この1本を4年間使っていて、たぶんこれからも変えないだろう」

ファンは彼にまったく近づけないだろうか?最近はニューヨークのいろいろクラブやコンサートに出没している。

「どこに行くかによるな。たいていのクラブは悪くない。みな大人で、やって来ては「こんにちわ、あなたの音楽が好きです」とかその類のことを言ってくれる。 15歳やら16歳のガキどもがいる十代の溜まり場みたいなところには行かない…そんなのは忘れた。あるいはコンサートへ行ってオーディエンスの中に座っているさ」

「顔の前に鉛筆を突きつけられるとか、ガキどもが髪の毛を少しくれませんか?とか、指ではどうですか?とか、これがギターを引く手ですか?くれませんか? とか言うから誰にも話しかけてはいけない。だから俺はそんなことはもうしない。そのようなシチュエーションでファンに近づいたり友達になったりしてはいけないから、 俺はそのような場所に近寄らないようにしているんだ」

「いいこっちゃないさ。かつては努力してみたんだけど。『ビッグであるということは頭を切り替えることだと思うか』って訊かれたものだけど、 俺は変わらないし外に出ても俺のままでいると決めたんだ。でもそれはちょっと不可能だった。そんなことはしちゃいけないし、いいこっちゃない」

「でも物事はいつも同じとは限らない。かつては面白かったことも今ではそうでもない。コンサートに行ってほんとに聴きたい人を聴こうとしたとして、 入ったときから出るときまでずっと鉛筆と紙が突きつけられる。それじゃバンドは聴けないけど、だからどうしたらいいんだ?ライフスタイルを変えてそれまでやってきたことをやめなくちゃならない。 最初はそれが煩わしくて、そして最後には受け入れざるを得なかったんだ」

ジョニーのイメージは、ブルース・フリークのスーパースターはスティーヴ・ポールによってテキサスで発見されたことで始まり、ヘロインの慣習を克服したで完結する。 ジョニーはむしろ、イギリスを再訪すれば、いま現在についてたずねられるだろう。

「その件について話すのはもううんざりだ。それについてイギリスでも何か訊かれると思うけど、自分の身に起こったこと、自分が経験したことを隠そうとしたことはない。
何が起こったかきっとみな知っていると思うんだ。それについては何度か話したと思うし、過去のことよりも現在進行中のことについて話したいんだ。
もう千回も話したことについてまた感情を込めて話せというのはキツイよ」

訳:東淀川スリム氏

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