2001年Tom Guerraによるインタビュー

2001年Tom Guerraによるインタビュー
Vintage Guitar Magazine 2001年11月号より引用

Q:こんにちは、ジョニー、始めるにあたってまず、あまりインタヴューを受けていないあなたとお話できるとは光栄です。最近調子はどうですか?

Johnny(以下J):ありがとう調子はとてもいいよ。腰の調子はいい。治ってきている。演奏していると痛むことが多いけど、だんだん良くなってきている。(訳註:自宅で転倒して腰を痛め2000年後半は活動休止を余儀なくされた)

Q:今日ではあなたがブルースの真の代表者の一人であることは人の認めるところですが、あなたのヒーローたちの功績を称えつつこの音楽により多くの聴衆を向けさせる責任がありますね。2001年のブルース界の収穫は何ですか?

J:ブルースはここ何年か持ち直してきていて、若い連中が次々と出てきているしいい仕事をしている。こんな感じでずっと続くんじゃないかな。

Q:
マディ・ウォーターズをプロデュースしてグラミーを獲得したり、ウッドストックで演奏したり、ジミ・ヘンドリックスとジャムったりして来たわけですが、何があなたのキャリアのハイライトと思いますか?

J:マディとの仕事が間違いなく俺のキャリアの最大のハイライトだ。

Q:ロックとブルースで演奏を始めたわけですが、過去20年ほどはあなたの初恋の相手、ブルースに集中していますね。ロックを演奏することについてはどう思いますか?

J:まあ、俺はもうロックは演奏しないけど、ブルースも時としてかなりロックするんだ(笑)。でもロックと呼ばれる音楽に関する限り、俺が演奏してきたのはロック的なブルースだけどな。

Q:あなたは火を噴くようなエレクトリック・ブルース・ソロで名高いですが、「Dallas」(デビューLP"Johnny Winter"収録)のようなアコースティック・ボトルネック・ブルースの演奏はロバート・ジョンソンを彷彿させますし、ほぼ間違いなくこれまで録音されたベストに属しますね。あなたが好きなアコースティックのセットアップは何ですか?またアコースティックのスライドでは何を使っているのですか?

J:オールドのナショナルを持っていて、正確に言うと何台か持ってて、スライドには何年か前に手に入れた導管の切れ端を使っているよ。デンヴァー民俗学会の友人が配管工事業者から入手するのに手を貸してくれたんだ。彼は前から使っていて、いいと思ったんだ。これ以前にもスライドプレーはしていたんだけど、いいスライドが見つからなかったんだ。腕時計のガラスから壊れた試験管から口紅のケースからボトルまでいろいろ使ってみたんだけどうまくいかなくて、そしてついにこの導管を見つけて、アコースティック・スライドでもエレクトリックでもこの同じ導管を30年間使ってきたのさ。俺の指にちょうどピッタリあった導管だったてわけさ。

Q:どの指にはめるのですか?

J:小指だよ。

Q:アコースティックのブルース・ライヴをやる計画はないのですか?

J:ああ、そいつはうまくいくと思えないな。俺は自分がアコースティックのライヴをやるのを聴いたことないからね。エレクトリック・セットにアコースティック・セットも加えたらどうかとか、あるいはちょっとアコースティックもとか言う人が多いけど、自分には聴きづらいな。

Q:全部アコースティックのブルース・アルバムの計画ならどうでしょう?

J:いや、アルバム丸々を埋めるだけのアコースティック・スライドの作品なんかないと思うよ(笑)

Q:ところで新曲の作業はどんな感じですか?読者に伝えられることは?ニュー・アルバムはいつ頃に?

J:いい感じだよ。今アルバムの仕事にかかっていて、2曲、「Lone Wolf」と「Cheatin’ Blues」は仕上げた。スーザン・テディッシのドラマーでプロデューサーのトム・ハムブリッジと彼のバンドと仕事をしているんだ。俺の最近の何枚かのアルバムをプロデュースした、アリゲーター時代に遡るけど、ディック・シャーマンもレコードで仕事をしている。俺らはキャリッジハウス(コネチカット州のレコーディング・スタジオ)でレコーディング中だ。まだしなければならないことが沢山あるので、アルバムがいつ出るのか正確に言うのは難しいけど、おそらく3~4ヶ月はかかるだろう。

Q:アリゲーター・レコードと言えば、あの時期のお気に入りの曲の一つに"Guitar Slinger"の「Boot Hill」があります。あれは熱演ですね。

J:そいつはありがたいね。俺もあれは好きだ。

Q:年月を経て、あなたの演奏は変わったと考えますか?

J:いつもブルースに根ざして、初期の頃はロックン・ロールがかっていたけど、今は全部ブルースだな。

Q:スウェーデン・ツアーから帰ったところですが、ライヴで演奏するのは今でも楽しいですか?スタジオで演奏するのに対して違った風にライヴで演奏していると思いますか?

J:うん、まだライヴで演奏するのを大いに楽しんでるな。俺はスタジオで演奏するのに対してという意味でライヴで違った風に演奏することはないな。出かけていって2、3テイクやるんだからスタジオもライヴとほとんど同じだよ。

Q:初期の頃に戻ってみて、ロックン・ロールとブルースのそれぞれ双方について、あなたを感動させたのは誰か覚えていますか

J:まず感動したのはチェット・アトキンスだね。彼が亡くなってしまったときはひどく落胆した。すばらしい人生だったのだけど。彼がマーク・ノップラーと作成したレコードをかけた。すばらしいレコードだ。そしてもちろん(ハウリン・)ウルフ、マディ、B.B.のようなすべてのブルース・ガイたち。クラブに入れるようになる前から全部ラジオで聴いてたね。

Q:最初のいいギターとアンプのセットアップを覚えていますか。

J:俺が最初に買ったいいエレキ・ギターはギブソンES-125で、カッタウェイなしの1ピックアップ、P-90だった。50年代のボディが厚いモデルでね。何年かして白いSGシェイプのレス・ポールを手に入れた。今でも持っていたらね。売っちまったギター全部を売らないでいたらと思うね(笑)アンプについて言えば、俺の最初のアンプはフェンダー・ベースマンで、ツィードの4×10モデルだ。今でもすばらしいアンプさ。

Q:現在のセットアップに関して、最近主に使っているのは何ですか?

J:今でもレイザーを使っている。オースチンのマーク・アールワインが製作した。アンプに関してはミュージック・マン、HD410モデルを使っている。スーパー・リヴァーブに良く似ているんだが、ほんの少し音がでかい。

Q:もうかれこれ20年近くレイザーを使ってきたわけですね。あのギターの特に好きな点は…

J:いいトレブル・サウンドが出る。フェンダーのストラトで得られるような。ギブソンのように演奏できるけど、抱えるとはるかに軽いんだ。

Q:ストラトと言えば、あなたが70年代にリック・デリンジャーに与えた赤いストラト(デリンジャーの1973年のLP"All American Boy"のジャケットに使われることになった)の裏話などありましたら。

J:俺はずっとストラトのサウンドが好きだったんだが、弾くことができなかったんだ。だからあれはリックにやった。その前にストップ・テイルピースへの交換を含めて弾けるようにありとあらゆることをやったんだけど、うまくいかなかった。で、リックにやったのさ。

Q:長年にわたりレイザーと並んでギブソン・ファイアーバードを携えてきましたが、今でもファイアーバードをライヴで弾いてますか?

J:うん、スライドの曲では全部使ってるよ。

Q:スライドではオープン・チューニングを使ってますか?

J:うん。オープンEチューニングだ。

Q:弦はどうですか。ファイアーバードではとてもヘヴィなゲージを使っているんですか?

J:そんなにへヴィでもないよ。レイザーにもファイアーバードにも010からのダダリオを使っている。

Q:どうしてサムピックを使った演奏スタイルをとってきたのですか?フレディ・キングから採り入れたのですか?

J:いや、最初のギターの師匠からだ。カントリー・アンド・ウェスタンのギター・プレイヤーでルーサー・ネイリーといって、その頃からThe Sons Of The Pioneersで演奏していた人だ。それ以前は長年ブルースを演奏していた。ルーサーはサムピックと他の指で演奏していた。俺もマール・トラヴィスやチェット・アトキンスのような人々を聴いていて、コードとメロディを同時に演奏できて…親指で低音を維持しながら他の指を使ってメロディを演奏するんだ。でルーサーがどうやったらいいか教えてくれたのさ。

Q:フィンガーピックで弾いたことは?

J:いや、指は全部使うけどフィンガーピックを使ったことはない。

Q:フレディ・キングといえば、最近「Hideaway」と「Sen-Sa-Shun」を「Live In NYC ’97」CDでカヴァーしましたね。明らかに彼は影響を与えた人ですが、彼は「三人のキング」(アルバート、B.B.、そしてフレディ)のなかで特にお気に入りと言えますか?

J:いや、三人の中じゃアルバート・キングがお気に入りと言いたいかな。スタイルもいいし、アタックもいい。

Q:アルバートと共演する機会はありましたか?

J:アルバートと共演したことはないと思うよ(笑)

Q:生涯を通じてのお気に入りミュージシャンは誰ですか?また最近聴いている現役のプレイヤーはいますか。

J:まず感動したのはチェット・アトキンスだね。彼が亡くなってしまったときはひどく落胆した。すばらしい人生だったのだけど。彼がマーク・ノップラーと作成したレコードを掛けた。すばらしいレコードだ。もちろんマディ(・ウォーターズ)…ロバート・クレイは間違いなく俺が好きな若手のうちの一人で、ハープ・プレイヤーならお気に入りはリトル・ウォルターさ。

Q:キャリアの大半であなたはバンドの唯一のギタリストでしたが、マディ・ウォーターズ、ジミ・ヘンドリックス、そしてリック・デリンジャーといった多くの偉大なギタリストたちと共演する幸運にも恵まれましたね。他のギタリストと演奏するのとトリオで演奏するのとどっちが好きですか?

J:実のところトリオが好きだね(ベースとドラムスのみ)。でもそういった他のギタリストとの演奏も楽しんだよ。ジミと演奏したときは、彼の演奏が大好きだったし彼の演奏を聴きたいんで俺は常に一歩引いてジミのために空けておいたんだ。俺らがやったほとんどの曲で俺はリードをとっておらん。俺らがやってた曲で「The Things I Used To do」ってのがあるんだけど、俺はリードをとっていない。そのときの状態のいいテープが流出しているようだけど。デリンジャーについて言えば、彼はホントにいいギター・プレイヤーで、演奏はソリッドで、実にピッタシはまっていた。それからマディの演奏を聴くということは大変なご馳走のようなもんで、駆け出しの頃はマディの前座をやってたし、おそらく70年代に一緒に演奏する以前に彼のレコードの全部から学んでいたんだろ。だから彼の曲は全部知っていたし、最初に一緒に演奏したときまでに何年も一緒にやって来たような気がしたなあ。

Q:国内で近々ツアーに出るプランはあるのですか?

J:来月はイギリスに行って、それから新譜を完成させる。アメリカでのツアー日程については、オフィシャル・ホームページを見てくれよ。

Q:私が見た中で最も爆発的なパフォーマンスの一つはマジソン・スクエア・ガーデンでのボブ・ディラン・トリビュート・ショウのあなたの解釈による「追憶のハイウェイ61」でした。ファイアバードでスライドを弾いてましたね。どういういきさつだったんですか。依頼があって参加してドカンですか?

J:ああ、あの件で宿命を感じるのはあの曲をやるよう依頼があったことだな。でもリハーサルの時間は十分じゃなかった、ほとんどなかったな。だから飛び出していってギター・コードを差し込んで演奏を始めたので、最初のうちは自分の音がまったく聴こえなかったんだ。俺はモニターの前に立っていて、というのは積み重ねた大型アンプではなくてミュージックマンを使ってたんで完璧にかき消されちゃったんだ。振り返ってサウンド・マンやバンドに合図を送りつづけて、最初のヴァースが終わった頃にようやく調整されて音を聴くことができたんだ。始めはおっかなびっくりさ。

Q:あなたはとても実り多いキャリアを積んで来て、30年間で20枚以上のアルバムをレコーディングしました。あなたのお気に入りのジョニー・ウィンター音源は何ですか?

J:ザ・ジョニー・ウィンター・レコード、CBSの1枚目は間違いなくワン・オヴ・ゼムだな。また、マディとの、特に「Hars Again」と「Muddy "Mississippi" Waters Live」もそうかな。俺は「Still Alive And Well」が好きで、ロック・レコードでは俺のお気に入りだ。他人のレコードでは俺がプロデュースしたソニー・テリーの「Whoopin’」というレコードが大好きだ。ウィリ・ディクソンがベースを弾いているんだ…

Q:マッコイズがバックをつけた「Johnny Winter And」期にあなたに夢中になった人が多かったです。アンド期のレコードはあなたのお気に入りリストに入ってますか?

J:特には…

Q:音楽の世界でジョニー・ウィンターの遺産としたいものは何ですか?

J:マディとの仕事で覚えておいてもらいたいな。間違いなくワシのキャリアの中でベストの瞬間の一つさ。

Q:それでは、ジョニー、時間を割いていただいてありがとう。調子が良くなっていると聞いてうれしいです。

J:ありがとう、楽しかったよ。

★付録1:マーク・アールワインが語るジョニー・ウィンター

原註:マークはテキサス州オースチンでアールワイン・ギターズを経営する、ジョニー・ウィンターのメイン・ギターであるレイザーを含むカスタム楽器の製作者である。

最初にジョニー・ウィンターを知ったのはメリーランド州ウィートンの高校に在学中のときでした。「Progressive Blues Experiment」アルバムを手に入れて、それからしばらくして1970年のアン・アーバー・ブルース・フェスティヴァルで彼を見ました。私の家族がフェスティヴァルのバックステージでバーを経営していたので、幸運なことにジョニーとルーサ・アリスンの二人がリックを掛け合う驚愕のセットの目撃者になりました。
1974年に自分のギター・ショップをテキサス州オースチンに移し、チキータというミニ・トラヴェル・ギター(訳註:日本では三鷹楽器が販売)を含め、ギターの製作を開始しました。それ以前に何年か従兄弟のダン・アールワインのショップで見習をしていて、彼から多くのことを学びました。70年代の後半にジョニー・ウィンターのショウに行き、チキータをバックステージに持っていったら気に入ってくれて、その場で買ってくれました。その何年かあとにレイザーという名のヘッドレス・ギターをデザインし、私の仕様書に従って韓国のIMCが製作しました。それで、黒のレイザーを持ってジョニー・ウィンターのショウへ行って彼に見せたらまた買ってくれました。彼がステージで弾いていたギブソン(ファイアバード)の重さにウンザリしていたのではないかと思います。そして彼は赤いレイザーも買ってくれました。カスタム(特別注文)の白いレイザーを製作するよう私に声を掛けてくれる前の話です。ちょうどその頃、IMCとの契約が終了し、私はレイザーをカスタムをベースにして製作し始めたんです。
彼のカスタム・レイザーについて言えば、彼はネック側がシングルコイルでリード・ポジションがハムバッカー、トグル・スイッチで切り替え可能なツー・ピックアップス・モデルを望みました。これがジョニー・ウィンター・モデルになり、二つのピックアップの間に彼の刺青の一部のデカールを貼りました。何年かして彼にカスタムのゴールド・メタルフレイク・レイザーを製作しましたが、彼が弾いているのを目にしたことありません(笑)
私は何年もの間時折ジョニーと連絡をとってきましたが、彼はかなり世間離れしたところがあってそれもなかなか困難でした。あるとき彼はメインのレイザー、白いヤツ、を修理して欲しいと言って来たので、一晩のうちにサン・アントニオまで車を飛ばし、ギターを取ってショップまで運び、また戻らねばなりませんでした。あるときは、彼のマネジメントが私のショップで午前2時にミーティングを開きました。私がジョニーについて語ることができるのは一つ、何回かご一緒したことがあり、とてもいい人で、とてもフレンドリーでたいへん誉め上手だということです。彼の肌は純白で皺もなく…それは太陽の光を避けているからに違いありません。
最近では、たいていは彼のギター・テクから彼のレイザーのためのスペシャル・パーツが必要なときに電話があります。彼のメイン・ギターは今でも白のレイザーで、彼の演奏がハードなのでフレットはほとんど残っていません。これは彼にとっての大当たりのギターに相違なく、と申しますのは私が新しいフレットを打つのを拒んでいるからで、ウィリー・ネルソンと彼の大当たりの「トリガー」ギターのようなもなんでしょう、彼も私にあのギターのフレットに触らしてくれないんです。

いま私はたいていジョニーがいつどこにツアーに出ているか分かります。と申しますのはギターを弾く彼のファンから電話がかかり始めてまして、彼を見てきたところなんだけどということでレイザーについて、そしてどこで手に入れることができるかと訊かれるからです。

★付録2:ルーサー・ネイリーが語るジョニー・ウィンター

Q:ところでルーサー、ジョニーはあなたがギタリストとして大きな影響を与えた人で、自分でやっていけるようにしてくれた師匠だと言ってます。当時の主なギグのネタを教えたのですか?

L:そうだ。クラブ出演はいくつかあったけど、教えることが生活の糧だったんだ。ジョニーもエドガーも教えたけども、エドガーよりジョニーのほうが多かったんだ。あの子がやって来たときのことを覚えてるよ。以前セイモア・ドルーガンに連れられて来たことがあって、セイモアはメジャーなラジオ・ネットワークの一つ「Breakfast Club」で演奏していたいいギタリストだ。ジョニーは教えたことは何でもすぐさま身に付けてしまい、やつに教えるために何か特別なものを即座に考えておかねばならなかったから何度も頭を掻かされたな。やつはごく普通の子でとても礼儀正しく非常に才能に恵まれていたんだ。ジョニーのレッスンの時間や彼がふと会いに来てくれたときなんぞはいつも楽しかったよ。ジョニーを1年ほど教えたと思うが、1956年にボーモントのジェファソン・ミュージック・カンパニーでのことだ。

Q:ジョニーはサムピッキングのテクニックやベーシックなブルースを超えることを沢山教えてくれたのはあなただと言ってました。

L:ジョニーがスーパー・ブルース・プレイヤーであることは誰でも知っとることだけど、それ以外のことも沢山とても上手にできるんだということは知られていないと思うんだよね。他の多くのスタイルの中でもチェット・アトキンス・スタイルはとても上手だ。やつはどんなタイプの歌、カントリーでもポップでも何でも歌いこなすこともできる。重ねて言うが、彼がどんなすばらしいブルース・シンガーかってことは誰でも知ってるよ。

Q:ジョニーはあなたに何か教えましたか?

L:もちろんさ。誰かがロックン・ロール(その時期だったので)でやっとる新しいコトを知るたびに教えてくれたもんだよ。

Q:彼はとても飲み込みの早い生徒だったようですが…

L:1957年6月から1959年5月まで陸軍に徴兵されていたんだが、2年後に戻って来たらジョニーはモンスター・ブルース・プレイヤーになってたよ。私はやつを誇りに思ってた。教えたことではなくて、やつが自分でやったってことをだな。

Q:テキサス時代以来どうしてこられたのですか?

L:私はロイ・ロジャーズの古いグループ、「The Sons Of The Pioneers」と1969年以来一緒にやって来てまだ続けているんだよ。ジョニーとはずっと連絡を取り合っていたんだけど、やつも成長して、てか成熟したと言うべきだな、ここ15年か20年は音信不通なんだ。エドガーとは何年か前にリノで会った。私たちはハラーズ・リノで演奏していて、エドガーはタホウのハラーズで演奏していたんで、ちょっとエドガーに会いに行って、彼に会えてとてもよかったよ。

Q:最近はどうされているのですか?まだツアーをしているのですか?

L:そうだね。私たちは1年のうちのほとんどはミズーリ州のブランソンで過ごしていて、午前(10時)のショウをブラッシュラ・シアターでやっていて、夏の間はいまでも何度か旅に出てるよ。1月から4月半ばまではアリゾナ州のトゥーソンでバイキング・パーティーのようなことをやって冬を過ごすんだ。私たちの本拠地はブランソンで、私はミズーリ州のホリスター(ブランソンの近く)に住んでいて、1984年以来そこが私の住まいなんだよ。

訳:東淀川スリム氏